gatos y una estudiante doctoral

猫をこよなく愛し博士修行に励む日々

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riel

Author:riel
アメリカで博士号をとり、近々大学の助教授となります

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介護者の心
俳優の夫がアルツハイマーになった女優の介護をしている日々を、ドキュメンタリーで見ることがあった。 そして私とそう年代が変わらない清水由貴子さんが母親の介護疲れで自らの命を絶ったニュースもみた。 『介護』は今、誰にとっても他人ごとではなかったりする。 その俳優の夫が、『ふと、もういいかっ』と思う瞬間があると、自殺した清水さんの気持ちを擁護する場面があった。 その気持ちも本当だと思う。 介護はきれいごとじゃないから。 それでも、出来ればきれい事にしたいのも人情。 出来れば、そのネガティブな部分だけを浮き彫りにはしたくないし、何とか楽しい介護をしたいと思うのも本当。

どっちも本当なんだよね。 何とか頑張って楽しくやりたいと思う気持ちも、もう辛いなぁと思う瞬間も。 幸い私はそこまで辛いと感じることはなかったけれど、でも楽しいことばかりじゃなかった。 だからこそ、前向きに努力して楽しくしようと思った。 それは、沢山の助けを受けることも出来たから。 サポートグループに顔を出したこともあった。 『自分と同じことで辛いことを経験している人が他にもいるんだ』と分かるだけでも、どれだけほっとするか。 『一人じゃない』という気持ちを持てると、また次の日から頑張れるんだよね。

死んでしまったら何にもならないんだよね。 日本で言う介護保険なんかは、出来れば介護者のカウンセリングや、サポートグループへの出席などにも積極的に使えるとどれだけ良いことかと思う。 日本ではカウンセリングを安く受けられる福祉施設などがあまり無いらしく、認知行動療法などが効果があると分かっていても、患者一人にそんなに時間がかけられないということで、結局抗鬱剤を処方しておしまいという事が多いという事らしい。 認知行動療法は、抗鬱剤と同じ効果があるという研究結果もでている。 カウンセリングに行くという事を未だ避けたがる人が多いときくが、一人では解決できない事とか、問題を放っておくとネガティブなスパイラルで鬱が強くなる一方なんていうときには、必須だと思う。 (と、これは自分が専門に勉強したことなので、信念をもって推薦できる。)

友達に愚痴ることには限度があるし、愚痴というのは相手を見極めないと、とんでもない方向に発展することもある。 だからこそ、守秘義務を慮る専門家の助けは受けるべきだと思う。 

私の父が入院しているとき、私は大抵のお見舞いはお断りした。 特に脳梗塞後の父はこん睡状態であり、まるで別人のようだったから。 人一倍身だしなみは気にする父だっただけに、彼のDignityを守るためにも、来て頂いた友人は看護婦さんの経験がある人だけ。 そういう状況になれている人だけ。 そして、病院外部の人でありながらも専門知識を持つ彼女達の言葉は、私自身勇気をもらうことが多かった。 日々の看病と学校の勉強をしながらだったので、疲れることは頻繁だったけど、医療をしっている人たちからの言葉は父も私もどれだけ救われる事だったか。 普通の友達にはこぼせない愚痴だって、彼女達にはこぼすことが出来た。 それは、相手がエモーショナルなだけの返事をくれる事はないと分かっていたから。 

カウンセリングも同じことなんだね。 友達への愚痴だったら堂々めぐりで終わってしまい、愚痴をこぼしたことへの嫌悪感も出てきたりもする。 だけれども、週に一回でも、『そこにいけば、肩の荷をおろせて、客観的かつ建設的な解決法が得られる』という場所が介護者にあったら、どれだけの『一瞬、もういっかっ』という間がさした気持ちを消去してくれるだろうかと思う。 介護を一人で背負い込まないためにも、そういう場所を介護者に低料金で与えるシステムが出来たらいいなと思う。 
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Jacaranda
rielさん、こんばんは。

いつもロムばかりですが、
今日は、「介護」と言う言葉に思うところがあったので、書き込んでいます。

動物の医療の世界にもありますよね。「老猫・犬の介護」が。。。

臨床の現場にいると、同じような場面に直面します。
私のようなドクターであっても、対動物と対人=オーナーさんという両者に対するカウンセリングの必要性を痛切に感じます。

特に、老齢化している大切なペット達の最期に向かう時の”介護”と言う問題はとても繊細で重いものであると実感しています。

いつも「幸せで納得した一生であって欲しい」と願いながら対応しているつもりですが、
もう最期を迎えると予測された時、
自分の対処が最善の処置だったのか、オーナーさんがその子を看取るとき、本当に納得して、その子に「永遠の別れ」を告げられたのか。
そういった本当に重要な「一回きりの本番」(と言う言い方も適切がどうか判りませんけれど、、、)
失敗の許されないもの
というのが、命を預かる現場にはあります。
そういう時の、自分の非力さや未熟さが耐えがたくなるのです。
主治医ではない自分という変な遠慮があったりすることで、処置が遅れたり不適切だったり
それが結果的にその動物を救えなかった。。。

今朝、心臓病と気管疾患を伴った11歳になるシーズーが亡くなって行きました。

喪失感と無念さが残っています。

そういうときに限って、いろんなことが重なってしまって。。。
エモーショナルな「自分の失言」と行動に自己嫌悪に苛まれます。

医療のプロとしては失格かもしれないし、いつまでも未熟なままで年を重ねていってしまった自分がとても情けなかったりします。

いつも、前向きなrielさんに元気を頂くのですが、
年齢と女性であることと母であることを抱える私は、日本で過ごすことがとても窮屈に思えてくる瞬間です。

でも、今は
日本で一人前のClinical Veterinarian for Small Animal
になるための修行中です。

riel さんの記事にいつも癒されています。
なかなかコメント残せませんけれど、読んでいます。
そして、無性にまたお目にかかってゆっくりお話がしたくなります。
近い将来、息子を連れてTXまで会いにいける日を夢見て・・・・

柿君のご冥福をお祈りします。
そして、素敵なプロになられて行かれることを応援しています。

いつでも、どこにいても・・・

See you soon.
2009/05/10(日) 13:04:01 | URL | [ 編集]
リエル
Jacarandaさん、こんにちは。
Vetの方で、飼い主さんのケアもしくは、カウンセリングサービスへの連携をしてくれるところは、アメリカでも中々まだないですね。 それでも、いくつかのVet's Officeではペットロス専門のカウンセラーの名刺が置いてあるのを見かけたことがあります。 

大事な家族、それが人間でも動物でも、忽然と自分の前から姿を消すという事は、そう簡単に言える痛みではないですね。 私も父の後に柿君とつづいて、その悲しみを癒すためには、まだ時間がかかると思えています。 それは日々の生活に頻繁に表に出てこなくても、心の奥底にいつも確実にある悲しみですね。 

獣医さん、お医者さんがベストを尽くしてくれたという『経過』があれば『最後』の形がどうであっても『感謝』の気持ちがわいてきます。 でも、その経過の途中での関係がとっても大事だと思えます。 寿命というものがあるのでしょうから、全てをお医者さんのせいにするなんて出来ないし、普通の家族であれば納得すべきことだと思います。

ただ、そこを通るときのお医者さんの親身な対応が本当に心を救ってくれるというか。 『気持ち』を傾けてくれるだけで、どれだけか心が軽くなることかと思う経験もしました。

Jacarandaさんも、動物の『寿命』までは背負わなくていいし、飼い主さんも背負って欲しいとは思っていないと思います。 ただ、その経過途中、そして最後のときに、心からの言葉をいただければ、それで皆が救われるのだと思います。

お忙しいと思いますが、頑張ってください。 
私は両方みてきたのですが、日本の獣医さんのほうが信頼できた人が多いです。 そこには日本人独特の『思いやり』という物が存在していたりしたから。 

そうですね、またいつかゆっくりお会いしてお話ができると嬉しいです。

応援ありがとうございます。 お互い、人生まだまだこれからです!(^^) 一花でもふた花でも咲かせましょう!
2009/05/11(月) 10:43:46 | URL | [ 編集]
Jacaranda
rielさん、レスポンスありがとう。

>獣医さん、お医者さんがベストを尽くしてくれたという『経過』があれば『最後』の形がどうであっても『感謝』の気持ちがわいてきます。 でも、その経過の途中での関係がとっても大事だと思えます。 寿命というものがあるのでしょうから、全てをお医者さんのせいにするなんて出来ないし、普通の家族であれば納得すべきことだと思います。

私が携わっている現実は、実は、そこのところがとても深刻です。
いわゆる、リエルさんの言うところの私の「動物的勘」が、結局のところあたってしまいました。
詳細は、またメールにてお話させてください。

でも、このことにより、私は私の進むべき道がはっきりと決まりました。
もうこれから迷うことなく、まっすぐに努力を続けて行く決心です。
動物達は、無言で彼らの命を投げ打って、重い重い大切なことを私に示唆してくれます。
この彼らから受け取った大切なものを決して忘れず失わず信念を持って、私の残りの人生をこの仕事に賭けてみます。

日本が窮屈と感じるのは、「年齢=もう遅い」「母という立場=仕事に専念できない」etc....
そんな価値基準で、その人が選択した仕事が適職か否かを決めてしまう、そういう偏狭な考えが浸透している日本に住んでいることがちょっと窮屈に思ったり、八方塞がりだと弱気になったりしていました。
アメリカンドリームではないけれど、
アメリカには、「情熱と努力と周囲の暖かい心がその人にチャンスを与えてくれる。」と言うようなことを、アメリカの大学で教鞭をとっている日本女性が、NHKラジオの深夜番組の中でで語っておられました。

だから、一瞬、「日本を飛び出そう=逃走しよう」などと、ネガティブな無計画な夢物語を語ってしまいました。

でも、今回のことで、きっぱり道が決まりました。

また、改めてメールいたします。
2009/05/18(月) 14:40:48 | URL | [ 編集]
リエル
ドクターと呼ばれる人々は、そう呼ばれない人々から、神様のように崇められてしまうことがありますが、それは間違いであるし、逆にそう呼ばれない人々の方が全うなことをしていることも多々とあります。 自分がこれからドクターと呼ばれるであろう事を考えると、そう呼ばれるという事実とあてはまるバックグラウンドが、知識だけじゃなく、否知識以外のところで特に必要だと思います。 

それはきっと、原点にかえって、自分があいてとするクライアント(個人でも社会でも)に正直に、そして真摯に向き合えるかどうかだと。 
そういうところで、色々もがくこともあると思いますが、Jacarandaさんも、ペットとその家族を対象とするお仕事をお続けになるという事で、きっと気持ち新たに、色々な心構えを考えられたのでしょうか。 ペットの家族として、そして病気をした猫を見送った猫ママとしては、獣医さんが『正直』に、そして『One of them』という考えを無くし、一匹一匹を一つの大切な命、とくにそれぞれの家族にとっては無二の命だという事を理解してもらいたいなぁと思うことが多々あります。 

Jacarandaさんの決意の細かい部分は分かりませんが、是非、また前を向いて頑張ってください!

来年、アジア圏内の大きな学会があるので、それに行くとなれば、Colleagueと日本にもよろうと話しているところです。 その折にでもまた会えたらうれしいですね。
2009/05/20(水) 09:57:51 | URL | [ 編集]














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