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猫をこよなく愛し博士修行に励む日々

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アメリカの高等教育
今朝のエントリー後、Multicultural SF の hanaさんを経由して、面白い記事に出会った。 アメリカの高等教育について、というよりもアメリカの博士課程だって日本のそれと殆ど状況が変わらないのだというお話をコロンビア大学宗教学の学部長である教授が、『それはどーにかせにゃいかんよな。』と、『こんな提案ありますよ!』という、一様ただのボヤキでは終わっていない記事。 End the University as We Know It. (Mark Taylor、2009)。  大学の受け入れの許容が、博士号をとって卒業していく人数をはるかに下回る事は、特に日本で昨今指摘されている。  博士号をとっても、仕事がないのでサラリーの低い非常勤講師を掛け持ちしてやっと生活ができるという朝日新聞の記事を数ヶ月前に読んだ記憶がある。 博士となると、肩書きが大きすぎてどこでも雇ってくれるわけにはいかないということだ。 今朝のエントリーに、ソーシャルワークはアカデミアだけが就職先ではないと書いたばかりだったけど、この教授もアカデミア以外の道も与えてあげるべきだという。 どの学部も、本当にそうあるべきだと思う。 これはどんどん博士を生み出してしまう大学側のシステムの問題だけじゃなく、博士だから大学で教えなきゃいけないとか、リサーチャーにならねばならないという社会の目も問題がある。 博士も人間です。 食べていくためには、私だって何でもすると思います。 それも仕事がないからしょうがなくとかではなく、そこに多くの選択があったり、自分で仕事を探したり創り出したりという事を、博士がしたってよいと。 実際そうしている、ソーシャルワークの博士号をもったソーシャルエンタープレニュアーは多く居ます。

一般の人がだーれも読まないような専門文献ばかり書いていたりする事や、博士論文の異様なフットノートの多さとかも指摘していて、結構自虐的な記事に見えがちだけど、傍から見た自分達がどうなのかを知ることも大事だと思う。 それでも、個人的には絞って絞って絞りあげられたスペシャルティーな研究は、一般の人が読まなくても、知識を掘り下げるためにも、未来のためにも必要だと思う。 研究って結局『Truth』を知るためのものなのだけど、その『Truth』を知るための概念自体が変化しつづけてきたし、変化しつづけていくのだろうから、スペシャルティーをほり続けても、教え子が教授のクローン化をしたとしても、行き詰ることはないと思うし、どこかで進歩していると思う。 この『Truth』を突き詰める事はまた違う内容の事なので、後日書いてみたいと思います。 

テニュア制度を廃止して、七年契約制にすることの利が書かれていたところは、相当頷いてしまった。 大学というのはまだまだ封建的な場所なので、一般社会とは全く違うシステムが多い。 外の世界での生活が長かったから、なれるまでにとても時間がかかった。 というか、まだ博士課程の生徒としての話だから、実際ファカルティーになると、もっと色々知らない物がみえてくるのあろうけど。

この記事は決して高等教育自体を否定していたり、そこに入ると仕事が無い上に、自分を落とす事すらできなくて大変ですよとかを言っているわけじゃなくて、内部者としてシステムの変化を期待する素直な気持ちが書かれているのだと思った。 私は、一般社会と直接関わらない事柄でも、知識を掘り下げるという行為は絶対に無駄にならないと思う。 ただ、それをどう現実社会につなげていくかの努力をするかだと思う。 自己満足で終わってしまわないように。 そして、高等教育を受けた人にも、もっと多くに選択を持つことが出来るような大学内外のシステムが必要だと思う。  そうやって一般社会とアカデミアの社会のギャップを埋めていく事が、いつになるかは分からないけれど、将来起こるのだろうと思うし、起こらざるを得ないと思う。 もしくは、博士への門を大学が狭めなければいけないのだろう。 そうすると、この教授が言うように、安月給で学部生を教えてくれる人材が居なくなるということなのだろうか。。。。。

と、いろいろ考えさせられた記事でした。
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hana
こんにちは。私のブログにもコメントをありがとうございました。遅ればせながらのコメント失礼いたします。
アメリカの高等教育は世界にも誇れる部分を持っている反面、実際に入ってみると本当に様々な問題を抱えています。もともとそうなのにこの不況で余計にいろんな問題が浮き彫りになった形ですね。しかも、問題の根幹は大学独特のシステムだけでなく、運営の仕方そのものに関わる部分もあると思います。このコラムではあまり触れられていませんが、私の出身校は中規模私立ですので、内情は結構泥臭いお金の話です、つまるところ。授業料は上がっていくのに教授の数は増えずパートタイムの先生がメインの先生のようになり、フルタイムの先生は教えるところとは違う事務的作業やミーティングにかりだされています。生徒としては、授業料の分の見返りがあるのだろうか、と思ってしまいます。卒業すればしたで、職にあぶれているのですから・・・
悲観ばかりはしていられないですけど、誰か一人だけの力ではどうにもならない、気の遠くなる話だなあと感じることもあります。
2009/05/04(月) 14:07:26 | URL | [ 編集]
リエル
hanaさん、コメントありがとうございます。 そうですね、この記事の内容は私も卒業がそう遠くは無い物としてはタイムリーでもあり、色々考えさせられる内容でした。 我が校は州立なのですが、はやり非常勤講師の数は増えている傾向に思えます。 実践で働いているソーシャルワーカーが多いですが、博士課程の生徒も多いです。 

州立も、Stateからの運営金は減る一方だと聞きますが、hanaさんの出身校のように私立であれば、それはもっと大きな問題となると思います。 

教育や研究以外にアドミの役を背負っているファカルティー(ディーン、アソシエイトディーン等々)の手腕というところなのかもしれませんが、もっと大きな経済等の問題が関わってくると、学校も一つのビジネスとして色々な決断を迫られるのでしょう。 

そうなんですね、ビジネスはビジネスだけど、そこに『生徒の教育』というコスト・ベネフィットの計算だけで見過ごせないものがある以上、教育の質も問われるわけで、また一段と窮地に陥ってしまうという悪循環。

博士号をとり卒業していく生徒への、もっと開かれた道が必要だと思います。 ソーシャルワークではポスドクというポジション自体限られていますから。 

でも、何かが変わっていかないとと思います。 『高等教育』の在り方を、この国の中で考えねばならない事も多いと思います。 それも、直接お金に繋がらないような部門の教育の重要性を。
2009/05/04(月) 20:02:30 | URL | [ 編集]














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