gatos y una estudiante doctoral

猫をこよなく愛し博士修行に励む日々

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Author:riel
アメリカで博士号をとり、近々大学の助教授となります

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日本映画がオスカーの外国映画賞をとったということで、その内容を読んでみて是非観てみたい映画だと思いました。 『おくりびと』という邦題がDepartureになっていましたが、ちょっとこれには違和感を感じました。 この『おくりびと』という言葉には、旅立つその本人のこととともに、それを見送る人々、そしてそれをお手伝いする納棺師という人々の想いなんかが含まれるのだろうと思えていました。 『死』という中々現代では直面しづらい、というよりも核家族化した現代社会では避けようと思えば避けられる話題。 そして『生』というものの、面白おかしい部分だけにフォーカスしてきた現代社会は、あまりに皮肉ではありますが、その『生』を,それも他人の『生』を軽んずる社会へとなってしまった。それは、『死』をどこかよその世界のものと思わされてきたから。

そういう私も、九州から東京にでてきた両親にそだてられたわけで、恥ずかしい事に去年の父の死が生活をともにした人との始めての別れでした。 父の死は私が知らなかった父の精一杯の『生』を私に見せてくれました。 そして、もしかしたら『両親がそろっている』という事が、いい歳をして当たり前にすら感じていた私に、自分の愚かさも見せてくれましたし、自分が父という存在をどこかで軽んじていた事も痛感することにもなりました。 そういう自分のほうが軽い人間だったのかもしれないのだと、父の死をもって、身近に居る人々の存在の深い部分を、表面的では分からない部分を探る努力も始めるようになりました。 『居て当たり前』ではないのですね。きっと自分の子供がいて、その子が愛しいと思う人ならみな、自分の親も同じように自分を慈しんでくれたとわかるのでしょう。 私には子供が居ませんが、親の愛というものへの感謝は忘れずにいたいです。そして、私と人生を共にする伴侶への感謝も。 何かを常に共有できる人が、人生にいると言う事は、喜びも二倍になるということ。 

そんな中、去年の九月から腎不全で余命が短いといわれていた私の愛猫の一匹『柿君』が虹の橋へと旅立ちました。 ちょうど10日前の出来事です。 家庭内暴力の被害者である移民女性達を住まわせていたシェルターで働いていたときに出会った猫です。動物レスキューの活動をしている人は皆多頭飼いです。 里親探しをしているなか、里親が見つからなかったり、特別な健康問題があれば、だいたいが活動家の手元に残ります。 我が家もその結果なのですが、残り物には福があるではないですが、往々にしてこういう子達は堅い子ばかりです。 柿君も例外ではありませんでした。 捨てられたあげく、家猫として育ったために餌のとり方も知らず、生粋の野良猫さんたちに縄張り争いをしかけられ、私が出会ったときは骨と皮であり、喧嘩の末に白内障、下唇の筋肉損傷、そして猫エイズを患っていました。 そんな彼は、わが家にきて、先住猫と喧嘩をすることもなく平穏な三年が過ぎた去年の九月に病気の診断が下されました。 この約半年の闘病では、私が与える日に二回の点滴、そして数種類の薬、最後の一ヶ月は自力でご飯を食べられないので私が数時間おきに餌をあたえていました。 そのどれにも文句を言うことも無く、最後まで私が願うように安らかにいてくれました。 そして、約束どおり、私と夫の腕のなかで最後のときを迎えてくれました。 今回も、彼の『生』が教えてくれたことが沢山ありました。 そして、これからもまた、縁がある猫を我が家に招き入れる事を続けていくでしょう。 これも柿君からのメッセージだったと思います。 元々『もうこれ以上は』と言いながら、他に行き場の無い猫達を受け入れていたのですから。 私のライフワークである事は確かで、これからも行き場の無い猫さん達との出会いがあるのでしょう。 私が拾うのではなく、彼らが私を見つけてくれるのだと真剣に思っています。 だから、彼らにも、私に何かを教えるために出会ってくれた彼らにも感謝です。

何らかの縁があったからこその家族。 そのそれぞれの死の悲しみよりも、私に見せてくれた『生き様』を心に留めて、そしてその家族との『生』とどう自分が関わったかを思い返し、今まだある家族の『生』とどう向かい合っていくのかを見つめていくことが大切なのでしょう。 『人と、命と、正面から関わる』事で人間が人間らしく居られるのかもしれません。

学校のほうも又忙しくなってきています。 この夏にはメキシコで開かれる学会で二つの発表をすることにもなりました。 私の研究は経済発展の陰に隠れやすい社会発展とも大きく関係しているので、途上国での学会発表が多いです。 今回は、地理的には近くてちょっとほっとしていますが。(笑) リサーチ方法論のクラスでの教育実習も色々学ぶことが多いです。 『教える』ということに責任の重さばかり感じてはじめたのですが、教えることの喜びも感じることが出来ています。 一人一人の生徒とのやり取りも出会い。その出会いから何か学べている日々です。

『死』というものがあるからこそ、『生』のなかにある『出会い』や『縁』に感謝できるのでしょうね。 おとといは、父が手術を受けた日から一年がたった日でした。 そして、柿君が虹の橋へ。 大事な事を沢山教えてくれた彼らに感謝。
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