gatos y una estudiante doctoral

猫をこよなく愛し博士修行に励む日々

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アメリカで博士号をとり、近々大学の助教授となります

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Assumption
サイコセラピストであるNYの友人と話すと、お互い自分が今まで見えていなかったものが見えてきたりします。 そして、お互いの正直な意見は、お互いの成長の糧となったりもします。 私のこの数年の課題は『Assumption』。 Assumptionとは直訳で仮定ということだけど、『実際に証拠も無いのに決めてかかる』ということです。 この『Assumotion』しないという事が私の課題。 これには二通りあって、ひとつは人から聞いた第三者の意見を信じたり、その聞いた内容を通してその人を評価しないこと。 つまり、自分の目や耳で確かめてから判断するということ。 そしてもうひとつは、勝手に自分の中の『被害妄想』を増幅させて相手を決め付けないということ。 どちらも難しいことです。

とくに後者の『被害妄想』というのは厄介なもの。 これは誰にでも多かれ少なかれあるのだけど、大事なのは(これはどんな行動でも同じだけど)、それが度を越さないこと。 心理学的には『Adoptive』と『Maladaptive』という分け方をします。 つまり、その行動が日々の生活に支障を起こすか起こさないかで、それがAdoptiveにもMaladaptiveにもなる。 例えば、心配性の人が家を出るときに何度も火元をチェックするのはまだAdoptiveだけれども、あまりに心配すぎて家から出られなくなり日々の生活に支障を起こすのがMaladaptive。 

話を元に戻せば、被害妄想を持たないということは、相手の真意もわからずに勝手に自分に刃を向かれたと思い込むこと。 世の中、これが無くなったらどれだけの争いごとが減ることでしょう。 自分でもし、相手が自分に刃を向けていると思うのならば、直接真意を聞くことでしょう。 お互いが理解しあう問い事にはいつも努力が必要なのだと思います、それも両者の。 聞いてみれば、何でも無いことだったかもしれない。 『思い込む』、つまりAssumptionをするという事は、自分の人生を狭めてしまったり、もしかしたら大きな可能性を開いてくれる人間関係だったかもしれないチャンスを失う原因になってしまったりします。 

これ、誰でもない自分自身がどれほど楽になるかという事なんですね。 Assumptionはそれが噂話によるものも、自分の勝手な被害妄想によるものも、結局自分が一番損をする事になる。 どちらにしろ、自分の想像でしかわからない事、つまり自分じゃどうにもコントロールできない事を思い続けている時間自体が勿体無いということも事実です。 

なんて、格好良いことを書いていますが、プロのサイコセラピストやその教育を受けた人だって、こと自分の事となるとそう簡単には実行できないものです。 だからこそ、自分の中で意識していようと思う課題なのかもしれないですね。 Assumptionしてしまいそうなときは、さっぱりその事実を直接知るために行動に出るのが一番でしょう。 コミュニケーションの大切さはそこにあるのかも知れません。 

こんな話をしたのは、実はちょっとした事が気になっていて、友人と話をしていたから。 先日私がいつもお世話になっている眼科の待合室で自分の番を待っていた時の事。 この先生はとても優秀なのですが、人格者でもあります。 しかし兎に角いつも込んでいる。 一時間程まってしまうことも多い。 それは、その先生が急患をとるということと、貧困者の人が需給している保険も受け付けているからです。 これだけのサービスで、そしてその先生の腕であれば、そういう事をしなくてもいいのだけど、それは彼の個人的信念。 そして、その日もどう見ても裕福ではない人たちが待合室に多くいました。 すると、一人のいかにもお金持ち風の夫婦が、声を低くするわけでもなく、『やだねぇ、こんな人たちをとっても先生は結構儲かるんだよきっと。 オバマになっちゃったから、これから先国民保険でもできちゃったら、どこの病院もカナダみたいに溢れ返っちゃって待たされ続けるんだよ。 特にこういうエイリアンが増えちゃうんだよね。 あー、後四年我慢すればいいだろうけど。 私達の税金が盗まれちゃうんだよねぇ。』という事を話していました。 盗まれちゃうって、この国へのこのエイリアンたちの貢献を数字で知らないから平気でいっちゃうんだろうけど、あきれた私は思わずその夫人の顔を見つめてしまいました。 もう少しで『あらスウィートハート、それは大変、早く銀行から全ての貯金を下ろしてベッドの下に隠さなきゃ!』と嫌味のひとつも言う所でしたが、嫌味を言われている人達が、下を向いてしまっている状態でそれは無理でした。 

話は長くなりましたが、その夫婦のAssumptionのひとつは、その先生が設けているという事。 私はこの先生の患者として長いので、どれだけ破格の値段で保険を持っていない人たちに施しているかしっているのです。 (予断ですが、私は目が悪いので、治療のために年に数回目に注射を刺しに通います。。。慣れたけど結構怖いです。。。) そして、次のAssumptionがユニバーサルな保険への理解。 どれも事実を見るわけではなく、すべてAssumptionの域。 この人たちもそのAssumptionをしてしまうに至るまで、色々な経験もあるのでしょう。 だから一概に怒ることもできないし、説得するべきことでもないでしょう。 ただ、そのAssumptionで、平気で大きな声で相手が傷ついてしまう事をいう事にMaladaptiveな部分を感じてしまいました。 

うーん、人のふりみて我がふり直せです。 これからもAssumptionをしない修行を続けていかねばね。
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