gatos y una estudiante doctoral

猫をこよなく愛し博士修行に励む日々

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Author:riel
アメリカで博士号をとり、近々大学の助教授となります

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一周忌・大人になること
父の一周忌の今日、そして明日は学校関係でどうしても会っておきたい人がTXに来ているという事で、メキシコ学会は自分の二つの発表に間に合うように遅れて出発します。

父が亡くなって一年。 ショック、悲しみ、受け入れ、と色々な感情の段階を超えてきましたが、誰もが言うとおり、やっぱりその悲しみは時間しか解決してくれないという事でした。 今は、悲しみとういよりも、ふと父に会いたいなぁと思う事があります。 若い頃の自分の親不孝を、もっとキチンと謝りたかったとか、父にもっともっと感謝の言葉を伝えておくべきだったとか。

思春期は、本当に反抗心旺盛で。 大人になりかけている年頃だったから、大人の世界の汚さが嫌だったり、親と違う生き方をしたいとか。  まだまだ若造だから、『親も人間』という肝要な目を持つことも出来ず、親を攻めることも度々。 自分の未熟さも振り替えらず、大人を攻めることが多かったな。 
でも、性格がこういう『白黒ハッキリ型』だから(笑)、反抗している親の世話になってまで大学に行きたいと思えなかった。 親の事とやかく文句を言うのなら、その親から援助してもらってまでと。 親は卒業後そのまま大学に行ってほしかったようだったけど、18という歳で自分が本当に何を勉強したいかもわからず、多額の授業料を親に払わせるのも嫌だったし、反抗している親にそういう時だけ世話になることもつじつまが合わなくて嫌だった。  『言いたいことを親に言うなら、自分もやることやってから』じゃないとカッコ悪すぎだと。

若い頃は、親がメチャクチャてこずった子供だったと思います。 不器用で、何でも自分でやってみて、頭ぶつけなきゃ分からないバカ。 でも、親はそんな私でも陰から見守ってくれたんだよね。 大人になって、厳しい親のそれなりの親心が分かってきて、そして親にも『人』としての歴史があることにも気が着いたりして。 そして、18で初めて働いてみて、独立してみて、一円を稼ぐことの大変さを学んでみて、一円を稼ぐために『嫌なこと』も受け入れなければいけない経験もして、親がどれだけ守ってきてくれていたかとか、厳しい言葉も自分のためだったんだとかが身にしみてわかった。 それからは、自分の若気の至りからの親不孝の穴埋めのごとく、親との距離を縮めていった。  『働く』ってことの大変さ、ただ学生アルバイトとかじゃなく、全て自分の稼いだお金で自活するという事の大変さは、何よりの人生勉強だった。 人(親)から簡単にもらえるお金では、本当の意味でのありがたみがわかなかったんだろう。 そして、親に心配をかけることが少しずつ減っていった。 

就職が第一の大人への階段だったのなら、結婚が第二の階段だったと思う。 結婚してからも、出来るだけ心配かけないように、というより『結婚=一人前』なのだから、今度は自分達が親にどれだけをして上げられるかを考えるようになっていった。 まだ日本に住んでいたとき、夫がアメリカ本社に呼び戻される事となった。 最初私は、どうしても日本でやりたい事があったから夫のみアメリカにと思った。 親は私だけ実家に帰って来れば、その分生活費も浮くだろうとからと言ってくれていたが、内心は夫について行くべきだと思っていたようだった。 確かに、結婚していながら二世帯持つということは、何もかもダブルとなる。 家賃、光熱費、電話料金、など等。 でも、その分を親の所に世話になってというのも、金銭面だけではなく、夫婦が離れて暮らしているという事だけで、昔の人達には心配事が増えるだけとなるわけで、結局それも出来ないと。 数ヶ月という区切りがあるわけではなく、何年となることもありえるわけで、結局日本で自分がやりたいことは諦めて、アメリカに夫と暮らすためにわたってきた。 結婚して大人になるということは、双方の親を含めた回りの人々に心配をかけないことだとやっと理解できた時。 周りの人の色々な援助や心配を得てまで、自分のやりたい事を貫くのは子供のうちだけ。 大人になったら、大人として生きるために良い意味で『諦める』事がある。 それが潔くできるかどうか、これが大人と子供の違いなんだと思う。 そして、その次の段階が、今度は自分達が自分達の子供のために、良い意味で色々な物を諦めて行くんだろう。 それが人間としての行き方なんだろう。 その『諦める』ということは決してネガティブな意味でも事柄でも全くない。 何かを手に入れようとするとき、何かを手放すことが必要だったりする。 でも、不思議なことに、それをきっぱり手放すことで開けることが出てくる。 これは経験した人にしかわからない事かもしれない。 そして、今度はそれが『喜び』にも変わっていく。 そう思えるのが大人なんだろう。

心配ばかりかけた10代。 それは簡単にかき消すことが出来るわけではなく、きっと父の遺影のまえで、いつまでもご免ねといい続けることなんだろう。 生きているうちにもっともっと『ごめんね』と『ありがとう』と伝えることはあったけど、それが出来ていない部分は、自分がキッチリ心の中で抱えていくべき事なんだろう。 決してそこから逃げずに。 『親稼業』は大変だとよくいうけれど、今になって心から親に感謝できることが多い。 日々心配かけられていた親は、辛かったはず。

まだ走り続けることや頑張ってる姿。 一生懸命、『人』として恥ずかしくない道を歩こうと頑張るよと、父に見せ続けることが一番の供養なんだろう。
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餅は餅屋
この数年、母が『重心がうまくとれない』そして『ふわふわ浮いたよう』と訴えていたメニエール症 (と勝手に思っていた)。 日本ではどれだけの病院に通っただろうか。 そしてアメリカでもMDに処方された薬が全く合わず逆効果ということも。 もっとホリスティックにと思い、とても腕のよいカイロプラクティックの先生に頼っていた。 そのお陰で色々な体の調子がよくなっていたものの、肝心のフワフワ感が、程度が軽減してきたというものの、中々完璧にとれないでいた。 こわいのが、歳をとっているということもあり、転んでしまうこと。

医者不信になっていた母に、もういちど検査をしようというのはとても時間がかかっていたのだけど、何とか納得させて専門家の検査へ先週末に行ってきた。

結果として、やっぱり『餅は餅屋』だということ。 子供の頃の左耳の手術の失敗に関連して耳鳴りを持っていた母の、その耳鳴りとフワフワ感が繋がっていると思えたのは、色々読んでみたことと、こっこさんのおかげ。 Audiologistである彼女のお話を聞いて、なんとなく因果関係は把握しだしていた。 ちょっと母を説得するのに時間がかかったけど、『耳鳴り&バランス』が専門のAudiologistを訪ねて、二時間半にわたり色々検査をしていただいた。 

結果はやはり、左耳の手術の後遺症により『バランス』をつかさどる器官が左耳のほうだけ全く機能していないことと、何と『眼』に問題があることが発覚。 『眼振』に問題があると。 そしてどれも解決、もしくは軽減できるだろうということ。 眼振の問題はめがねを新しくするか、コンタクトレンズを使うこと。 そして耳の問題は、既に機能をなくしているので、なくした機能のままで生活をしやすくする『Motion therapy?』とか言うものをすると良いらしい。 ここのところフワフワ感も減っていたものの、完治していたわけではないので、これは本当にありがたい診断。 『本当の原因』が分かった母は、ほっとしたらしく、それだけでもこの数日一段と元気になっている。 

日本だと一般内科、一般歯科とかで医療が細分化されていないなぁと思うのだけど、これは本当にアメリカの良いところだと思う。 歯医者もあっちこっち行かされていやだなぁと思うこともあるけど、でも長い目で見たらちゃんとした専門家の診断・治療って大事。 今回のAudiologistのDr.に色々説明をうけて、母子そろって安心した。 

早速、眼科で新しい眼がねを買うために診断してもらい、セラピーも始めてあげたい。 たった一人残った親。 私が出来る事は出来るだけしてあげたい。 父のときのように、最後にお互いに『ありがとう』といえる関係でいたいし、後悔だけはしたくないから。
みんなのお母さん
まだまだ完璧とはいえないのですが、母も少しずつ元気になってきています。 両親のアメリカ移住は、母の病気回復のためという事もあったのですが、まさか母より元気だった父が先に逝ってしまうなんて。 治りかけていた母の病も、父の突然の出来事に又ぶり返していたりしました。 これはもう時間が薬としかいえないと思えます。 年をとるということは、どうしても若いときのように回復力も、適応力もあるわけではないので、今は母のペースで全てを見守るようにしています。

実母を早くになくした夫は、母に一生懸命日本語で話しかけてくれたり、何かにつけて『お母さん、お母さん』と声を掛けてくれています。 仕事場から近いという事もあり、夫は頻繁に父のお墓参りにも出向いてくれています。 それも、まだまだ足元が安定しない母の代わりにという気持ちからのようで、『お母さん、今日はお父さんのお墓参りに行きましたよ。』とよく報告してくれて、母も『ありがたいこと』と喜んでいます。 

本当の母のように接してくれる夫も勿論ですが、周りのお友達も本当に母によくしてくれています。 ふと気がついたのですが、特にアメリカに外国人として住む友人達は、またアメリカ人の友人とは違う想いで母に接してくれているようです。 故郷にいる彼女達の親の事をダブらせて母と接してくれているのがとても分かります。 異国に住む、異国に嫁に来るという事は、そう簡単に親に会いにいける距離ではないのですね。 彼女達が自分の親を想うように、母に接してくれているのだと感じる事が多いです。 皆、心優しい人ばかり。

そして、それは友人の枠だけではなく、アジア系のレストランやスーパー等に行くといつも同じようなことが起こるのです。 異国から来たウェイトレスさん達は、母の事をいつも覚えてくれていて、特別な物を出してくれたり、母に優しい言葉を掛けてくれたり、お店を出るときは駆け寄って『お母さん、また来てね』と言ってくれたりします。 特に病気のため足元がおぼつかない時などは、さーっと駆け寄ってくれたりします。 娘ながらに、本当に嬉しいことです。 そして、母の存在が、中々故郷に帰れない彼女達の心を少しでも癒しているとしたら、これもまた嬉しく感謝出来る事と想います。 

父が居なくなり、気持ちがふさぎこむことが多い母でしたが、最近は趣味の編み物を始める程になりました。 母を支え、元気に老後を過ごす手助けをする事で、虹の橋を渡った父が安心していられるのだと想います。 まだまだ一人でできない事などが多いですが、少しずつ、母のペースで回復していって欲しいと想います。 母の看病も、周りの沢山の人に助けられて出来ていること。 考えてみれば、母がつないでくれた人間関係もあるわけで、そう考えればすべての事に感謝できてきます。 
日本映画がオスカーの外国映画賞をとったということで、その内容を読んでみて是非観てみたい映画だと思いました。 『おくりびと』という邦題がDepartureになっていましたが、ちょっとこれには違和感を感じました。 この『おくりびと』という言葉には、旅立つその本人のこととともに、それを見送る人々、そしてそれをお手伝いする納棺師という人々の想いなんかが含まれるのだろうと思えていました。 『死』という中々現代では直面しづらい、というよりも核家族化した現代社会では避けようと思えば避けられる話題。 そして『生』というものの、面白おかしい部分だけにフォーカスしてきた現代社会は、あまりに皮肉ではありますが、その『生』を,それも他人の『生』を軽んずる社会へとなってしまった。それは、『死』をどこかよその世界のものと思わされてきたから。

そういう私も、九州から東京にでてきた両親にそだてられたわけで、恥ずかしい事に去年の父の死が生活をともにした人との始めての別れでした。 父の死は私が知らなかった父の精一杯の『生』を私に見せてくれました。 そして、もしかしたら『両親がそろっている』という事が、いい歳をして当たり前にすら感じていた私に、自分の愚かさも見せてくれましたし、自分が父という存在をどこかで軽んじていた事も痛感することにもなりました。 そういう自分のほうが軽い人間だったのかもしれないのだと、父の死をもって、身近に居る人々の存在の深い部分を、表面的では分からない部分を探る努力も始めるようになりました。 『居て当たり前』ではないのですね。きっと自分の子供がいて、その子が愛しいと思う人ならみな、自分の親も同じように自分を慈しんでくれたとわかるのでしょう。 私には子供が居ませんが、親の愛というものへの感謝は忘れずにいたいです。そして、私と人生を共にする伴侶への感謝も。 何かを常に共有できる人が、人生にいると言う事は、喜びも二倍になるということ。 

そんな中、去年の九月から腎不全で余命が短いといわれていた私の愛猫の一匹『柿君』が虹の橋へと旅立ちました。 ちょうど10日前の出来事です。 家庭内暴力の被害者である移民女性達を住まわせていたシェルターで働いていたときに出会った猫です。動物レスキューの活動をしている人は皆多頭飼いです。 里親探しをしているなか、里親が見つからなかったり、特別な健康問題があれば、だいたいが活動家の手元に残ります。 我が家もその結果なのですが、残り物には福があるではないですが、往々にしてこういう子達は堅い子ばかりです。 柿君も例外ではありませんでした。 捨てられたあげく、家猫として育ったために餌のとり方も知らず、生粋の野良猫さんたちに縄張り争いをしかけられ、私が出会ったときは骨と皮であり、喧嘩の末に白内障、下唇の筋肉損傷、そして猫エイズを患っていました。 そんな彼は、わが家にきて、先住猫と喧嘩をすることもなく平穏な三年が過ぎた去年の九月に病気の診断が下されました。 この約半年の闘病では、私が与える日に二回の点滴、そして数種類の薬、最後の一ヶ月は自力でご飯を食べられないので私が数時間おきに餌をあたえていました。 そのどれにも文句を言うことも無く、最後まで私が願うように安らかにいてくれました。 そして、約束どおり、私と夫の腕のなかで最後のときを迎えてくれました。 今回も、彼の『生』が教えてくれたことが沢山ありました。 そして、これからもまた、縁がある猫を我が家に招き入れる事を続けていくでしょう。 これも柿君からのメッセージだったと思います。 元々『もうこれ以上は』と言いながら、他に行き場の無い猫達を受け入れていたのですから。 私のライフワークである事は確かで、これからも行き場の無い猫さん達との出会いがあるのでしょう。 私が拾うのではなく、彼らが私を見つけてくれるのだと真剣に思っています。 だから、彼らにも、私に何かを教えるために出会ってくれた彼らにも感謝です。

何らかの縁があったからこその家族。 そのそれぞれの死の悲しみよりも、私に見せてくれた『生き様』を心に留めて、そしてその家族との『生』とどう自分が関わったかを思い返し、今まだある家族の『生』とどう向かい合っていくのかを見つめていくことが大切なのでしょう。 『人と、命と、正面から関わる』事で人間が人間らしく居られるのかもしれません。

学校のほうも又忙しくなってきています。 この夏にはメキシコで開かれる学会で二つの発表をすることにもなりました。 私の研究は経済発展の陰に隠れやすい社会発展とも大きく関係しているので、途上国での学会発表が多いです。 今回は、地理的には近くてちょっとほっとしていますが。(笑) リサーチ方法論のクラスでの教育実習も色々学ぶことが多いです。 『教える』ということに責任の重さばかり感じてはじめたのですが、教えることの喜びも感じることが出来ています。 一人一人の生徒とのやり取りも出会い。その出会いから何か学べている日々です。

『死』というものがあるからこそ、『生』のなかにある『出会い』や『縁』に感謝できるのでしょうね。 おとといは、父が手術を受けた日から一年がたった日でした。 そして、柿君が虹の橋へ。 大事な事を沢山教えてくれた彼らに感謝。
在り難し・知識と智慧
今年も押し迫ってまいりました。 皆様いかがお過ごしでしょうか。 喪中のため、挨拶は控えさせて頂こうと思いますが、自分なりに今年を振り返って置けたらと思います。 皆さんは、ご家族で楽しいひと時をお過ごしでしょうか。 大切な家族、友人と過ごせる今この時を楽しまれていると嬉しいです。

人の生をうくるはかたく、
やがて死すべきものの
いま生命あるは在り難し。

これは法句経の中の一句なのですが、私の今年得た人としての智慧に一番近い表現だと思えています。 人間として生まれることも奇跡。 そして人間はいつかは死に行くものであるからこそ、今この瞬間にその受けた生命が輝いている事は、その瞬間々感動すべきものなのだということです。 最後の『在り難し』というのは感謝というよりも、『奇跡への感動』と私は解釈しています。 

父の死を迎えたこの年に、昔から座右の銘と決めていた『Carpe diem』、『Seize the day』、つまり『その日をつかめ』という言葉が、もっともっと意味を持つものとなりました。 

人間は、考えてみたらどうでも良いことに悩まされすぎて、大事なこの瞬間や、その瞬間を共有する大事な人々を忘れてしまっているときが多々あるのでしょう。 過去への悔恨、他人の中傷、他人からの中傷、他人の勝手な推測、又逆に勝手な他人への推測、そして知る由も無い未来への勝手な不安。 そんな事に大事な時間をとらわれていないでしょうか? こういうものから開放されるためには、これもやはり強い心と努力が必要なのだと思います。 これこそ、生きていく上で大事であり、努力に値する智慧なのだと思います。 考えてください、こんな気持ちから開放された心を持つこと、そしてだらかこそ『今』を生きられる強い心を持つことが、どれほど自分という今生きている、生かされている存在への『奇跡』に感動する余裕を与えてくれるか。 結果、これこそ充実した日々となるのだと思えてなりません。

私は、沢山のことを案じて、しかもよそ様のことまで案じて、人助けなることをしてきましたが、まずは自分の目の前に居るもっと大事な人々にその努力を注ぐべきだと学んだ一年でした。 決して他の人たちに冷たくなるということではなく、それはその人たちが、自分自身で解決していく問題であって、自分がお手伝いしようと頭を突っ込むことは反ってその人のために成らずということも多いという事。 ただし、俗に言う本当の意味での『Helpless』な動物や人々は別です。 五体満足であり、努力をすれば何とかなるであろう人には、反って手を出さない方が良いし、自分もその分もっと大事なSignificant othersとの時間ができるわけです。 灯台下暗し。 自分の周りの大事な家族や友人にもっと焦点をあてて生きたいと思わせてくれる一年でした。 父の死は悲しいものだったけれど、こんな歳になっても、私は色々経験させてもらって、『智慧』というものを授かることができるのだと思いました。 どんなに辛い経験も、必ず失うことの無い『智慧』となっていく。

日本は儒教の影響で、目上の人への尊敬を重視する文化がありますが、これは一重に『経験からしか掴めない智慧』の重要性を説いているからではないでしょうか。 私が若い頃、働きながら色々な勉強をするために学校に通いつめている時がありました。 その時、ある経験豊富な上司にこういう言葉を贈られたのです。 『リエルさん、”知識”を得るために頑張るのも大事な事だが、”智慧”を得る事へ目を向けることも大事ですよ。』 そう、知識というのは、老若男女その機会さえあれば、どこでも努力とともに手に入れる事が出来るのですが、智慧というものは、それなりに起伏ある人生を乗り越えてきてこそ得られるものがあるのです。 若い私にはその言葉の本意はつかみきれて居なかったかもしれません。 それでも、その頃の日本はまだまだ古き良き文化が残っていたのか、その目上の方からの助言をありがたく胸のうちにしまったのを覚えています。 

年上だからと威張ることもおかしいのですが、年上のひとであれば自分に無い智慧を持っているのだろうと想像できる若人は堅い人でしょう。 それは学位とか名誉とかお金では変えることができないもの。 そういうものに敬意を払う文化が、日本からは消えてしまったのかもしれません。 たまに出会う自分の子供ほどの年の日本の若者に、最初から行き成り敬語無しの友達言葉を使われて面食らうのは私だけではないかもしれません。 また、そうさせてきた大人の私達も社会人として責任があるのでしょうが。 最近日本のドラマで『SAITOU SAN (斉藤さん)』というのをやっていたのですが、思わずうなってしまったのが、今こういう大人は居ないなという事。 若い人に遠慮しすぎていたり、友達親子となってしまったり、その結果若い人に恐れられる大人が居なくなったということ。 生きていく智慧や、悪いことは悪いと、嫌われるのを覚悟で若い人に忠告できる大人が少なくなったということ。 愛情があるからこそ、できる忠告はあるのだと思うのですが。 そして、自分が長く生きてきたという自信から、若い人たちに『智慧』を伝えることができる大人も少ないのかもしれません。 これはアメリカでも何も変わらないものです。 敬語こそありませんが、『大人』と『子供』の区切りはハッキリしているので、成長する=智慧を得るという図式はしっかりこの文化にもあると思えます。 

ちょっと話がそれましたが、自分が年をとることで重ねる経験。 そしてその経験から得る智慧は、決して教科書だけから得た薄っぺらな知識に変えがたいものだということ。 父の死を経験して得た智慧は多く、そして自分の中で不動のものとなってきています。 その経験というものは、人として生まれて、人と関わって、喜びや悲しみを通り過ぎ、初めて智慧となって生きていくのだと思えます。 その経験は決して『家族の死』という大きなイベントに限らず、『人と関わる事』であれば何でも経験となるのでしょう。 それが社会人・仕事人としての責任の絡んだ関わりであったり、家族人としての責任と愛情の絡んだ関わりであったり。 人は、人と関わることでしか何かを学べないのだと思います。 

父の娘として生まれ、『父と娘』という縁を全うできたことで学べた智慧は数多いものでした。 その中には葛藤、対立、愛情、別れ、色々多様な側面がありました。 どんなに対立した時ですら、親子としての愛情は深くそこにあり、それがどんな形であっても私達親子は『逃げず』に『関わろう』としたからこそ、父の死のときにお互いに言葉は無くても、お互いへの大きな愛に包まれた瞬間をもてたのだと思います。 この父の娘として生まれたことも又、釈迦が言うとおり『在り難し』、つまりその奇跡に感動せざるを得ない経験ということでしょう。 

この色々起こった年の終わりを迎える前に、私の心の中は『在り難し』の一言で満たされています。

お父さん、私の父でいてくれたこと、そして何があっても父で居続けてくれたこと、感謝の念でいっぱいです。

皆さんも、今周りにいるSignificant othersを見渡してみてください。
そして、その状況が『在り難し』なのだと、ちょっと考えてみてください。

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